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我が家に初めてやってきたインコ。島根県生まれで、東京を経て、現在広島県在住、
一番長い距離・時間を共にしている我が家の鳥類の最長老。 八方美人な性格で、初対面の人間も怖がらず愛想を振りまく可愛い子。ただ、人間よりは 文鳥の方が好きなようで、大好きだった「文太」が怪我をし、滅多に会えなくなったときは 落ち込むかと思ったが・・・ すぐに「ちょうちゃん」に鞍替え、そして現在は「九郎」に愛想を振りまいている。 我が家の鳥達の中で「癒し系No.1!」、アイコンの多さから溺愛振りは理解していただけるだろう。 もともと「とろい」感じのインコだったのだが、最近は歳のせいか、とろさ加減がさらに増してきた ような気がして、かなり心配である。 ▲ | |
インコ一羽ぼっちでは「まめ」が寂しいと思い、東京の友人のお宅に迷いこんだインコを、
飼い主が見つからなかった為(野鳥だったのだろうか?)、譲りうけ我が家にやってきた
まんまるインコ。マメとのあまりの体格差に、ジャンボセキセイかとも思われたが、結局
ただの太りすぎだった模様・・・。小鳥は食べ過ぎる事はないと聞いていたのに、ぐりの
食欲はとまるところを見せない。 飼い始めは、全然人間になつかなかったが、おそらく「まめ」の影響を受けて、最近は少し 人間に媚を売ることを覚えたようだ。息を吹きかけてやると、丸い体がさらに膨らみ丸くなる。 「まんまるグリ」と呼ばれ愛されている。 ▲ | |
柔らかい色合いで以前より気になっていたシナモン文鳥が、東京在住時に近所のペットショップ でかなり安価で見つかったので、衝動買いして我が家にやてきたシナモン文鳥。多数いた幼鳥の シナモン文鳥の中で、九郎が家にやってきた理由は、なんとなく元気だった頃の「文太」に似て いるような気がしたから・・・(このときまだ文太は元気に生きてました)。未だに人間にはなついては いないのだが、なんとなく人間の傍にやってきたいようなそぶりを見せることもある(親ばかだろうか?) ふわふわしてそうな外見とは裏腹に、「凄い筋肉質」でしっかりした体格の持ち主である。 因みに、名前の由来は「九月購入」だから。特に、義経は意識してない。 ▲ | |
我が家で一番人間になついていた「ちょうちゃん」が居なくなってしない、その後我が家に やってきた「ぶんぶん」が・・・事故で居なくなってしまった為に、その悲しさを薄れさ せるために我が家にやってきた文鳥。小さい頃は、頭のてっぺんの羽が変に飛び跳ねていた ので、将来禿げるのでは・・・と心配していたのだが、現在は非常につややかな真っ黒な大人 の羽に変化し、一安心。人間になついてほしいのだが、現在は「九郎」と一緒に居る方が落ち着くらしい。 もう少し、人間になついてもいいのではと思われるが、眠たいときは人間の手の中へやって くることもあるため、本当は「甘えん坊」な性格をしているのだろう。 ▲ | |
忘れもしないあの8/15日・・・、私"ricebirds' son"が生まれて初めて骨折した日、 初代ぶんたは居なくなってしまった。かなり甘えん坊な性格をしており、視界から 人間が姿を消すと、鳥かごに飛びついて"何処行ったの?"と、人間を探すような仕草を 見せたり、また何処か行こうとしても同様な仕草で我が家に愛嬌を振りまいていた初代ぶんた。 特に、トランプを繰る音が大好きで、トランプの音がすると、わき目もくれず私達のところへ やって来ていた。旅行中のトラブルで、非常にかわいそうな事をしてしまいました・・・ その時点で羽が大人の羽に生え変わり始めていた段階で、綺麗な大人の姿に変身させて あげられなかったことが、非常に悔やまれる・・・ ▲ | |
「初代ぶんた」が居なくなった後、寂しさに耐えられず、同じ位の歳の文鳥を探すが、
その時期は丁度、産卵期ではなかった為に見つからず、諦めて帰ろうと思ったときに、
病鳥故に売り物からはなれた籠に、"文太は居てくれた"。何か運命的な物を感じ、店員に我侭
を聞いてもらい、そして文太は家族になった。当時、店員から、手乗りにはならないだろう
と言われていたのだが、私達の想いが通じたのか、良く懐いてくれた。本当に文太はいい子だった。 不注意で大怪我をさせてしまい、まともに立つことが出来なくなってしまった文太。 怪我を負った時は、弱弱しい声をあげながらも必死で頑張って生き延びでくれた文太。 最期の時は、傍には居られなかったけれど、本当に今まで我侭に付き合ってくれて、 ありがとう。本当に感謝しても、感謝し尽くせない位、文太は私達の心の支えになって くれた。不自由な思いをさせてごめん、文太、本当にありがとう。 ▲ | |
文鳥に限らず、小鳥の幼鳥は性別を判断する事が難しい。故、小鳥を飼ったことの
ある人は、皆名付け時にその難しさ(?)を経験していると思う。「文太、文太」と、
連呼したときに「〜太」という名前に、何かしら優しさ、やわらかさを感じた私は、文太が
"文鳥の文"なので、鳥太は"文鳥の鳥"から名前をもらい、「ちょうた」と、した。現在でも
そこはかとなく優美さを漂わす、良い名(?)を付けたと思っている。 この娘(家の小鳥の中で唯一の雌だった)は現在一緒に暮らしている小鳥達をも含めて、一番 人間になついていた子だった。手や足で、憩って寝てくれるのは当然のこと、水道からの水を 手で受けてやると、その中で水浴びをするくらい、人間に心を許してくれていた。我家では、 "一番の器量良し"と言われて愛されていたが、癌が原因で怪我をしていた文太よりも早く、 居なくなってしまった。電話、インターフォン等の暖かいAV機器が好きで、よくその上で 安心して眠っていた姿を、ふと思い出すと無性に寂しくなってくる。 ▲ | |
「文太」が「鳥太」に続いていなくなってしまったあと、我が家に久しぶりに新しい
子がやってきた。本当は「文太」という名前にしたかったのだが、名前を同じにすると
他の子と「文太」を重ねるようで、仕方なしに、「文太」を呼ぶときに愛着を込めて
呼んでいた呼称、「ぶんぶん」という名前を付けることになった。 この子も非常にかわいい 子で、「まめ」が人間の傍にいると、人間の傍は自分のテリトリーだという思いからか、 「まめ」をよく追っ払いに飛んできたのは懐かしい。自分は、帰省時に多少しか会うことが 出来なかったが、出来ることなら"わんぱくだったぶんぶん"を元気に大人にしてやりたかった。 これも人間の不注意から、非常にかわいそうな事をしてしまった・・・ 居間にあった造花が大好きで、よくその中で憩っていたぶんぶんは、現在他の皆と一緒に 花に囲まれた小さな場所で眠っている。 ▲ | |
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